ストレートフラッシュ
酔っ払ったジョニーさんが「林君、死って何だろうなあ?」と聞いてきた。僕は「経験したことないから分からないです。ただ、残された者の問題かもしれませんね」と答えた。一カ月後、ジョニーさんは亡くなった。
この世界では生と死がパラレルに起こっている。人、動物、植物、物までもが、この自然界の原則に平等に支配されている。
日常の至るところに生と死の気配がある。それをひたすら見て思うのは、確かなのは必ず死ぬ、消えるということ。そうやって生をぐらつかせると、ストレートで透明な視線になっていく。生とは束の間の閃光や虹のようなもので、自然界からしたら一瞬のフラッシュのようなものかもしれない。
ありのままの世界、ありのままの人間が発する生気をストレートに写し続けるのですが、やがて死の気配を無視できなくなる。日常に潜む生と死の気配が交錯し始めます。直視と錯視を繰り返し、その先で見たものとは?
撮影期間 2017年9月 ~ 2018年12月
Epilogue
火葬場に向かっているとき、車窓から虹が見えた。見たこともない低空の虹だった。
参列した人たちはみな、この不思議な虹を静かに見ていた。細い雨が移動する車を包み、光がまぶしく降り注いでいた。
ジョニーさんと最後に面会した日、僕は差し入れにストロベリーシェイクをもっていった。看護師は渋い表情をした。ジョニーさんは寝たきりの姿勢のまま、シェイクを飲み干した。僕は次の差し入れに何が欲しいかを聞いた。お母さんは「ありがとうね」と何度も言った。一週間後、ジョニーさんは死んだ。
葬儀の間中、ジョニーさんのお母さんは、周りにお礼を尽くしていた。仲宗根さんは余計な言葉を発さなかった。桑名さんは静かだった。「ジョニーへの気持ちを刻む」葬儀から帰った庄司はそう言うと、包丁で自分の右腕を傷つけた。
日常に戻り、僕はいつものようにぶらぶらと出かけた。足に任せて、いつもの道や、いつもと違う道を歩いた。花が綺麗に見えた。生活している人々が美しく見えた。光がやわらかく全てを包んでいるように見えた。