Profile
林 弘康
1975年生まれ。岐阜県出身。中央大学文学部卒。地方新聞記者を経て、27歳からフリー活動に入る。2024年4月、8年間の石垣島での写真生活を終え岐阜に戻る。
Works 使用機材
「ピカいあ」
プラウベルマキナ67
「18番街」
コンタックスT3 マミヤC33
「石垣」
マミヤC33
「ストレートフラッシュ」
コンタックスT3
「屋上」
マミヤ7
「自転車で走る」
リコーGRデジタルⅣ
実際に使用していたマミヤC33
3年間でブローニー500本ほど
こんな感じで撮ってたらしい
編集後記
「タクちゃん、ぼくが使うカメラ決めてよ」
「ヤスくん、C33がいい。重機みたいでカッコいい。ドガァーン、ドガァーンって撮ったらいい」
写真家の友人タクちゃんがC33を1万円で売ってくれた。このカメラはダイアンアーバスも使ってたみたいだし、昔の車みたいに角張ってて、割と気に入ってた。ただ、重かった。ぼくはこのガンタンクみたいなヤツをぶら下げて二年間、石垣島を歩き回ることになる。
安い買い物ではあったけれど、カメラ自体に少し威圧感があった。どこか強面なんだよね、C33。そこで、キーホルダー付けてかわいくしちゃおうと思った。キーホルダーたちにかけたお金は、カメラの値段を超えた。ストラップはディズニー30周年記念の限定モノで、これ一つでカメラの値段を超えた。「このカメラ高そうですね」「実はキーホルダーとストラップの方が高いんです」「えっ?!」こんなやりとりが定番となったし、人々の心を真っ先に掴んでくれた。フードの絵は知り合いの画家マオシモンズに依頼した。白の油性マジックで描いてくれた。依頼料はガンタンク2機分。総合すると、ガンタンク5、6機の戦力で歩いてたことになる。
またお金の話でいやらしいけど、「18番街」では相当つぎ込んだ。お酒に。まあ、飲んだくれてただけという話もある。計算すると気が滅入るのでやめておくけど、総合するとガンタンク50機くらいは撃墜され....福沢諭吉先生50人くらい溶鉱炉の中に....ダメだ、やめよう。楽しい思い出だ。虎穴に入らずんば虎子を得ず。あの区域は文字通り虎穴だった。確かに虎がいた。無事に出てこれたのは財布の問題。細い財布よ、ありがとう。
さておき、フィルムの話。生産中止になる前に大量購入しておいたおかげで、惜しみなくシャッターを押せた。ちょうど「屋上」を撮り終えたくらいから、フィルム価格は上がりはじめた。やがて市場から在庫が消えた。今では入手することすら難しくなってしまった。ドガァーン、ドガァーンと撮れたのも高騰前の話。今だったら、そうはいかなかっただろう。タイミングも良かった。
岐阜に戻って、ふと気付いたことがある。世界線を二つ以上持つことは良いことだ、ということ。どちらで出会ったにせよ、人と共有した時間は全て宝物だと思った。たとえ一瞬にしても。そういう時間をちゃんとレコードしておく手段が写真だったんだ、と至極当然のことに気付かされた。世界線を二本持ったおかげ。そして、写真でなくても何がしかの形で今をレコードしておく必要があるんじゃないか、と思った。何でもいい。いざこの世界から立ち去らなくてはいけなくなった時に、ちゃんと思い出すために....
そう、だから....
ガンタンクよ、永遠なれ!